プラトニッククラウド

昨日の事を言うと、鬼が寂しげに微笑む。

24. 漫才と生鮮食品

今日、初めて人前で漫才を披露した。正直、初舞台にしては結構ウケたのではないかと思う。全くネタを飛ばさなかったのも良かったことの一つだ。自分の未熟さは一度棚に上げて、素直に嬉しい。ほとんど歌わないカラオケに行ったり、蚊に食われながらネタ合わせしたりした甲斐があった。ネタ合わせ中は本番の声量、本番の熱量のつもりでやっているつもりだったが、実際にステージに立つとその3倍の声量・熱量が出た。
ただ、気がかりなことが1つある。今回のライブはもう1公演あるということだ。初舞台の緊張に比べれば落ち着いて出来るような気もするが、漫才の賞味期限が切れてしまうのではないかと心の何処かに不安がある。
そもそも、コントは演劇に近いため、はじまりのシーンを演じた段階で時間はリセットされる。であるから、極端な話、同じメンバーで同じコントを二連続でやっても、(ウケるかは別として)違和感はあまりないだろう。
しかし、漫才はどうか。漫才は、その場その時その人達が会話しているという情報がかなり重要だ。だから、一度知ったことを、新鮮に知り直すということは出来ない。同じ漫才を二連続でやれば、よっぽど演技力がない限り違和感が勝るのではないか。
そして、危惧する点も正にそこにある。一度人に披露した漫才を、改めて披露するときに自分の言動の新鮮さが保たれるかどうかということだ。勿論お客さんは変わる。しかし、1人でもネタを知っているお客さんが居るだけで萎縮してしまう気がする。
漫才は水物とは言いたくない。もっと不易なものであると思う。しかし、永遠ではない。人の手に触れるたびに少しずつ腐っていく生ものではないかと思っている。たった一回漫才をしただけで、偉そうなことを言ってしまう。愚見は承知である。