30. 矯正と鍵
上顎と下顎を結びつけていた矯正器具のゴムを付ける必要がなくなった。矯正は終わらずとも、日がな一日口蓋を抑えつけ、食事や発声となれば否が応でも口蓋を抑えつけてきたゴム状拘束具を付けなくて良いというだけで、気分は軽い。
特に感傷はない、ただ現実的な問題が晩餐ののちに発覚した。今までは歯磨きの直後にゴム器具を付けることで、歯が既に磨かれていることの確認としていたが、その標識がなくなった途端、自分が歯を磨いたことを確信できなくなってしまったのだ。自らの歯の清潔を担保しているのは、あの忌まわしきゴム状拘束具だけだったのである。
家に帰ればまず扉に鍵をかけるように、歯磨きののちはゴム器具を付けていた。口を鎖すようになってからというもの、鎖されないと不安な体になった。ただ、真に心穏やかに過ごせるのは、鍵のない生活だろう。