梅雨が明けない。どのくらいの経てば梅雨が明けるのか、一年経てば必ず忘れてしまう。結局、鬱々とした日々を目を瞑った状態で過ごすことになる。
さみだれと云えばいくらか清々しくも聞こえるが、明らかに「さ」の音のおかげである。このジトジトした、革製品がぬらぬらと肌に触れ、イヤホンが頰を生ぬるく打ち、電車で誰かの傘が太腿に密着する、この雨の季節に「さ」の音は似合わない。
「しぐれ」は分かる。人々が忙しなく動く、冬の京の都をさっと濡らして去るあの雨には、「し」という音も似つかわしい。ただ、「さみだれ」はどうしても合わない。梅雨(ばいう)が音としては一番しっくりくる。もしくは、「みだれ」とでもするか。