プラトニッククラウド

昨日の事を言うと、鬼が寂しげに微笑む。

18. 罪と罰

最近モヤモヤしていることがあり、普段ならツイートしているかもしれないが、140字に纏める能力がなかったのでこちらに書こうと思う。


何か事件があったときに、断罪したがる人は多い。誰かを叩くのは娯楽の一環だという言説を見たこともあるが、強ち間違いでもなさそうな気がする。娯楽だとすれば悪趣味だとは思うが、理解はできる。ただ、最近ではこれがエスカレートして、罰の重さを決めたがる人を見かけるようになった。恐ろしい欲望だと感じる。


顕著だったのは、芸人の反社会勢力への闇営業の一件だ。吉本・ワタナベともに、出演芸人に無期限謹慎の罰を下したが、これに対して、軽すぎるだとか、解雇すべきだという意見を相当な数見た。この「べき」はどんな規範から導かれる「べき」なんだろうか。

「闇営業は契約違反だから悪い」「反社会勢力と繋がりを持ってはいけない」「嘘をついてはいけない」というそれぞれの主張は正しく思えるけれど、「故に○○の罰が妥当だ」という結論は導かない。誰も罪と罰を計量する天秤を持っていないのに、自分には正しい罰の重さが分かると信じている人達が、怖い。


同じようなことを、千葉の殺人事件での極刑要求の署名が18万人分集まったというニュースを見たときにも思った。死刑にして欲しいという感情はよく分かるし、感情だけで言えば私もそちらに付きたい気がする。しかし、死刑が「正しい」判決だとは私は主張できない。罪の重さはそう簡単に触れられるものではないし、だからこそ法によってある程度機械的に処理できるようになっているのだと思っている。


感情論は誰にでも使える武器だし、簡単に振りかざすことができる。ただ、何でもそれで叩き潰せると思わないで欲しい。あなたの怒りは「正しい罰の重さ」の根拠にはならないから。